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旅の百十一:「小石川後楽園/東京都文京区」 |
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毎日暑い日が続きますが、如何お過ごしでしょう? 今回は文化財の調査で時々訪ねている、小石川後楽園を ご紹介したいと思います。 小石川後楽園は、江戸時代初期に水戸徳川家の江戸 上屋敷内に造られた回遊式日本庭園です。東京ドームの 西側に位置しています。 この庭園は、寛永6年(1629)、水戸藩の初代藩主徳川頼房が築いた庭園を、水戸黄門としておなじみの二代藩主光圀が 寛文元年から30年ほどを費やして改修したものです。光圀は、師事していた明の儒学者、朱舜水の意見を採り入れ、「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて 楽しむ」という中国の教えから「後楽園」と命名し、 完成させました。 その後、明治時代には陸軍省の所管となり、軍需工場の 敷地の一部として使われていたようです。大正時代には国の 史跡と名勝に指定され、更に、昭和27年に特別史跡及び 特別名勝に指定されました。 昭和12年に、隣接する軍需工場跡地に野球場や遊園地が 造られますが、これらにも小石川後楽園にちなんで後楽園の 名が付けられたようです。 小石川後楽園には涵徳亭や得仁堂などいくつかの建物が 残されているのですが、私が今回、調査で訪ねているのは、 赤門・九八屋・丸屋です。 赤門は、一間棟門、切妻造、桟瓦葺の門で、九八屋は、 寄棟造、茅葺の茶屋。丸屋は一間半四方の宝形造、 茅葺の茶屋です。建物の調査に伴って史的調査も 行っているのですが、前回ご紹介した旧弘道館と同じく 水戸藩徳川家の庭園ですから、重なる人物なども多く、 何だか縁を感じます。 今年は建物の調査を行い、来年以降、修復工事をする 予定です。 庭園の写真をご覧いただいたら、庭や建物の雰囲気を頭の 片隅に留め置いてください。そして都内に出た折り、 その喧騒に疲れた時などには、この日本庭園を思い出して、 ぜひ訪ねてみてください。 |
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