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旅の十七:「甲斐国分寺本堂/笛吹」 ◆写真をクリックすると、拡大写真でご覧頂けます。
今回は、今年の10月に移築保存修理工事が完了した、山梨県笛吹市一宮町の甲斐国分寺本堂についてご紹介いたします。

私は2000年7月より、この本堂や庫裏、薬師堂、鐘楼門などを現状調査、その後、解体調査や、構造補強設計、建築基準法等諸手続きなども担当しました。

甲斐国分寺は、古代天平年間に聖武天皇の勅願により全国各地に建てられた国分寺の一つです。
「史跡甲斐国分寺跡」の史跡整備事業計画により本堂など諸建物を移転する事になり、その移築保存修理のための現状調査で訪れたのが、平成12年7月。
それは真夏の太陽が照りつける暑い夏でした。

炎天下の中、建物の廻りや屋根にのぼり、小屋裏や縁の下で埃まみれになりながら、一つ一つの部材を測り、実測調査したのがついこの間のようです。


甲斐国分寺には、境内や周辺に残されている遺構から、南大門、中門・回廊内に金堂・七重の塔や講堂を取り込んだ形式の古代国分寺伽藍が存在していました。
しかし、鎌倉時代の建長7年(1255)に全ての建物が焼失し、その後、武田信玄が復興を手掛け室町時代の永禄年間に現在の臨済宗に改宗、再興されました。


甲斐国分寺本堂は、桁行九間・梁間六間、寄棟造の茅葺きの建物で、建築様式や構造形式などから江戸時代中期の元禄年間の建立と思われます。
その後の修理経過などは記録も無く不明ですが、昭和40年頃茅葺きの上に鉄板葺きの修理を行っており、下地に茅も残されていました。


今回の本堂移築保存修理は、江戸時代中期の建立後、後世の改造も少ないため文化財的価値が高いことから、今後の文化財指定も視野に入れ、重要文化財と同様な手法で保存修理を行う事になりました。
重要文化財の保存修理とは、解体中に調査を行い、当初の形式をあきらかにし、当初材は支障のない限り再使用し、継ぎ手や仕口など各部の手法も当初の形式に倣った仕事をすることを言います。

ただし、構造上弱い部分や耐震上問題のある部分については、構造補強なども合わせて行う事になりました。
この構造補強では、文化財的価値を損なわずに、構造上や耐震上の補強を行なわなければならず、したがって建物本体の柱や梁などの部材を痛めないで補強をしなければなりません。
構造の専門家と侃々諤々、試行錯誤しながら検討し、構造補強設計をしました。

また、現在はまだ文化財に指定されていませんので、建築基準法にも遵守しなければならず、いろんな面で複雑な検討を余儀なくされ、それだけに私にとって思い入れ深い建物になりました。

その後の建物組立工事は、私は担当しませんでしたが、建築基準法の完了検査など諸手続きも無事合格し、甲斐国分寺本堂は完成しました。

今こうして完成した建物を眺めると、いい建物になったな、と嬉しさもひとしおです。
今後、庫裏や薬師堂の移築保存修理も引き続き行なわれます。こちらについても、建築基準法などの法規制や構造補強のアドバイスをしながら工事が無事完了するよう見守ると共に、私の担当している境内整備工事設計監理業務をしっかりやりたいと思います。
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