トップページ    お問い合わせ


旅の二十七:「旧官営富岡製糸場 その4」 ◆写真をクリックすると、
拡大写真でご覧頂けます。
「富岡製糸場」の第4回目は、最後の調査。
私たちの組も、いよいよ工場を調査する事になりました。
メインの工場は、既に別の組が調査を行っていたのですが、
遅ればせながらその一端を担う事になりました。

今回、私が担当した建物は、揚返し工場です。
揚返し工場と言っても何の作業をする工場なのか解からないでしょうから、
まず、富岡製糸場の作業行程の流れから説明します。

行程は、養蚕農家が育てた繭を荷受する所から始まります。
次に繭を乾燥させ貯蔵するのですが、その貯蔵庫が「富岡製糸場」と言ったら、多くの人が思い浮かべる、あの長い東繭倉庫と西繭倉庫です
(なんとあの倉庫には、この大きな工場を1年間稼動させる分の繭が貯蔵されていたんです)。

そして、貯蔵されている繭を取り出し、選繭(センケン)で不良繭を除去し、煮繭場(シャケンジョウ)で繭を湯や蒸気で煮て、それから繰糸場(ソウシジョウ)で繭から糸を引き出し数粒の糸を一本にまとめて生糸にします。
その生糸を揚返し場で周長1.5mの枠へ巻き返し、生糸を枠からはずして、束ねて紐で縛って出来上がり。そして、箱詰めして出荷となります。
簡単に説明するとこう言う事だと思います。

その最後の行程の揚返しが、今回調査をした揚返し工場です。
揚返し工場は、作業行程の最後とあって工場棟の一番南に位置し、昭和の
女子寮の北側に並列しています。
この揚返し工場の北側にもう一棟、明治期の揚返し工場があり、更に北側に繰糸工場が並んでいます。
したがって、今回調査をした揚返し工場は、恐らく大正か昭和に増築された
建物だと思います。

揚返し工場は、間口3間(約5.4m)で奥行き約34間(約61m)の建物に5間(約9m)の15間(約27m)の建物が東側に増築された工場で、総長は約88mにもなります。ちなみに明治期の揚返し工場と繰糸工場は約140mも長さがあります。

こんなに長い工場に機械が整然と並んでおり、最盛期には物凄い量の生糸を生産していたんだろうと驚嘆させられます。
今回の揚返し工場は、大正から昭和期の建物とあって、柱やトラス梁は
か細いです。
建物の構造形式は平屋建て越し屋根造りのカラー鉄板桟葺きですが、元は瓦葺きのようです(越し屋根とは、採光、換気などのため屋根の棟部分に乗せた小屋の事です)。

恐らく当初は、工場内の熱気を逃がす為、越し屋根としたのでしょう。
しかし、後に、越し屋根部の窓を板壁で塞ぎ、更に越し屋根の下端をビニールシートで遮蔽した痕跡もあり、現在は、空調のダクト配管を上部に張り巡らせたものになっていました。これらは冬の寒さ対策に伴う、労働環境の変化の表れではないかと思います。

女子寮で然り、診療場で然り、また工場で然り。
明治・大正・昭和と日本の産業をしょって来た富岡製糸場で、
その背景にある女工さん達の生活の変遷の一端を、4ヶ月に及ぶ今回の調査で垣間見たような気がします。

調査は今回で終了しましたが、「世界遺産に」という動きもある
この我が国日本の産業の礎となった、旧官営富岡製糸場の行く末を、今後もしっかりと見守りたいと思います。


20050926tabi_1





































←旅の二十六に戻る  旅の二十八に進む→  



印刷表示