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旅の百二十三:「学習院/東京都豊島区」 |
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処暑を過ぎ、幾分涼しくなったような気がしますが、 みなさん、如何お過ごしでしょうか? 今年は物凄い暑さの中、学習院の建物調査に行っていました。その学習院北別館と東別館を今回はご紹介します。 学習院は東京都豊島区目白にあり、皇族が学ばれる 学校として知られていますが、その歴史は江戸時代の弘化4年(1847)に、仁孝天皇が京都御所内に設けた学習所が 起源とされています。その後、明治10年(1877)神田錦町に学習院として設立し、明治41年(1908)現在の目白に 移転しました。その移転時の明治42年(1909)に建てられた図書館が現在の北別館です。 それでは北別館(資料館)をご紹介します。先ほど説明した ように明治42年に図書館として建てられ、昭和53年 (1978)、校舎の建設に伴い、敷地の北部にあたる現在の 位置に移築されました。その際、本来はT型だったものを、 北側の左翼を削除し、現在は東西に約25m、 南北に約25mのL型の平面構成となっています。木造平屋建、切妻造桟瓦葺、外壁は下見板張に付柱を設けた擬洋風 建築で、図書館だった当時は、T字のI部分が閲覧室で、 両翼には個室が配され、両翼の接合部に三角形の エントランスが両方に取り付いていました。 また、閲覧室の後方中央部には明り取りのトップライトが ガラス張りで設置されていますが、これは当初、若しくは かなり早い時期に設置されたもののようです。 次に、東別館(旧皇族寮)です。ここは大正2年(1913)に 皇族のための別寮として建てられたもので、木造2階建、 切妻造及び寄棟造桟瓦葺、外壁は下見板張で、エントランスの前に鋳鉄製の車寄を設けています。この車寄は立ちが高く、 当時は送迎が馬車だったので、このような高さになった ようです。建物の平面構成は凹型で、そのうちのL型部分が 片廊下の宿舎棟。その先端にエントランスが取り付き、 廊下の直角方向に守衛室などが並び、凹型の両先端に トイレが配されています。この東別館は現在も教室として 使われており、床や壁、天井などに手を入れていますが、 良く管理されており、ケヤキの階段など、ピッカピカでした。 このように建物は、適切に維持管理しながら、かつ、 使い続けることによって半永久的に残して行けるものと 思います。これからもこのような歴史的建築を残してく上で、 少しでもお手伝いが出来ればうれしく思います。 今回調査をしたのはこの2棟ですが、学習院にはこの他にも、10代院長でもある乃木将軍の宿舎だった乃木館や 昭和初期のRC造の校舎、南一号館、西一号館などの 建物が残されています。 近くに行った折にでも訪ねて頂けたら幸いです。 |
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