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旅の七十:「甲斐国分寺完成/笛吹市」 ◆写真をクリックすると、拡大写真でご覧頂けます。
 平成16年(2004)の11月に「旅の十七:甲斐国分寺本堂」で
紹介した、甲斐国分寺移築保存修理工事が昨年完了しましたので、ご報告したいと思います。

 甲斐国分寺移築保存修理工事の概要等は旅の十七を見ていただくことにして、ここでは本堂完成以降の工事のあらましをご紹介します。

 本堂完成の翌年、平成17年には薬師堂の移築保存修理
工事に着手しました。解体調査の結果、後世に間取りの平面
構成を改造されていることが判明し、当初に復原することと
なり、建築確認の変更申請を受けてからの、工事着手となり
ました。薬師堂は桁行三間・梁間三間、寄棟造茅葺きの建物
ですが、今回の移築保存修理では茅葺き型銅板葺きとし、
平成18年9月に完成しました。

 次に、庫裏。こちらは使用上の関係から部屋の一部を
寺務的に使うため、間取りの変更を行い、建築基準法改正に
より、計画変更確認申請を受け、平成18年10月に工事に
着手、翌19年末に完成しました。桁行20.8m・梁間9.4m、入母屋造茅葺き型銅板葺きの建物で、本堂と同時期の江戸中期、
元禄年間の建物と考えられています。

 そして、最後に一間一戸楼門、入母屋造茅葺き型銅板葺きの鐘楼門が昨年完成しました。現状調査から8年間にもおよぶ
長い年月の間には、この他にも、墓地の区画造成、塀の築造整備、車庫・カーポート・倉庫の建設など数々の境内整備
事業を行い、甲斐国分寺移築保存修理工事は無事終了に至りました。

 今回の甲斐国分寺移築保存修理工事で感じたことは、
文化財指定されていない歴史的建造物を修理することの難しさです。国指定の重要文化財や県・市町村指定の文化財で建築基準法第3条の指定を受けた建物は建築基準法が適用除外となります。したがって、修理工事において建築基準法は関与
しません。しかし、甲斐国分寺は市指定文化財(当時は町
でした)にもなっておらず、古代国分寺跡に建っていたことに
よって、その保存整備上、移転を余儀なくされ移築することに
なったという経緯があります。したがって、当然、建築基準法の確認申請を受けなければなりません。江戸時代の建物が
昭和25年にできた建築基準法に合っているはずはなく、
そのためにいろんな面で大変苦労したわけです。

 たとえば、建築基準法では、基礎は荷重などを安全に地盤に伝え構造耐力上安全にすること、また、構造上主要な部分は
外力に耐えるよう釣り合い良く配置するなど、いろんなことが
事細かく決められています。昔は今のような鉄筋コンクリートの基礎はなく、礎石の上に柱を立てた構造でした。文化財修理の場合、こういった工法を変える訳にはいきませんが、今回の
ような場合は建築基準法にも合わせて、これらを一つ一つ
クリアーしなければなりません。そこで考えたのが礎石の下に鉄筋コンクリートの地中梁を廻し、礎石と礎石の間には地中梁から布基礎を立ち上げて、柱間には土台を入れ、建物の荷重などを安全に地盤に伝えるという方法です。また、構造計算によって金物や耐震壁の配置も計算し、元々壁だった所は、土壁から構造用合板の壁に変え、開口部も建具の一部を固定し、裏面を構造用合板で耐震壁にしました。さらに、木造の大きな建物は小屋裏に防火壁の界壁を一定の間隔に入れなければならない等、たくさんの制約があったのですが、これらも全て
クリアーして、法的にも問題のない安全な建物が完成し、
役所の検査済証も交付され、無事引き渡しとなったのです。

 長い間かかわっていただけに、伽藍が完成すると、
つい移転前の以前の建物と比較して見てしまうわけですが、
苦労したぶんの「ひいき目」を差し引いて見ても、素晴らしい
伽藍になったなと、感慨もひとしおです。4月の桃が咲くころは
境内の廻りは一面桃畑です。花見がてら、訪れてみられては
如何でしょう。























































































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