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旅の百二十六:「小石川後楽園 丸屋解体/東京都文京区」 ◆写真をクリックすると、
拡大写真でご覧頂けます。
 前回の小石川後楽園九八屋に続き、九八屋と同じく「旅の百十一」で紹介した小石川後楽園丸屋(まるや)修復工事の解体が終了しましたので、これまでの工事についてご報告したいと思います。

 今回ご紹介する丸屋も小石川後楽園が造られて間もない頃に建てられた
茶屋で、江戸時代前期の元禄十五年(1702)の後楽園拝見之記に「耕作の御茶屋 丸屋という」と紹介され、元文元年(1736)の後楽記事では「まろや、栗の皮付、板や」とあり、江戸時代中期は板屋根だった事が伺えますが、
現在の丸屋は茅葺屋根の四阿です。

 その後もいろんな古図や絵などに描かれており、長い年月の間には、
簡素な建物の性質上、改築や建て替えなどを繰り返されて来たようですが、
昭和20年、太平洋戦争の東京大空襲の際に焼失し、その後、昭和41年に
焼失前を再現する形で再建されたのが現在の丸屋です。

 今回の修理は、再建後約50年が経過し、屋根替えを行ってからでも
既に25年程度を経たことから、茅葺が雨漏りする前に修復工事を
行う事となったものです。九八屋と同様に7月工事に着手し、茅葺きの解体、木部の解体と順次進み、先日、解体が終了し、一段落となりました。

 丸屋は後楽記事にもあるように、柱に栗の皮付材を使用し、天井は網代を
組んでおり、九八屋と仕様的には似ていますが、柱は4本で壁は無く、
写真でもおわかりいただけるように、茶屋と呼ぶより、
四阿(しあ・あずまや)の方、いわゆる東屋と言うほうが適切かもしれません。
江戸時代はこういったものも含めて茶屋と総称したとも思われます。

 今後、修繕部の繕いや補修を進め、今年度中の完成に向けて作業を進め、
正月明けには茅葺きに着手したいと考えています。今後については、
また、進捗状況に応じてご報告したいと思います。次回の報告をお楽しみに!
















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